goldarn_ringのブログ

《ネルヤ》という忍殺の指輪 (@goldarn_ring) のブログです。指輪物語の言語ネタの記事とか書きます。

ナズグルのテーマの歌詞の解説

はじめに

この記事は トールキン Advent Calendar 2016 の9日目の記事です。

指輪物語で9といえば? そう、九人組、ナズグルですね。
この記事では、映画「ロード・オブ・ザ・リング」のナズグルのテーマの歌詞の解説をしてみようと思います。
(どの曲のことかわからないとおっしゃる方は YouTube で検索!)

この映画には、シンダリンやクウェンヤで歌われる曲が多数登場します。クズドゥルの曲もあります。
では、この九人組のテーマは? アドゥーナイクです。シンダリンとクウェンヤに比べるととても語彙が少ないため、文章を書くのが大変な言語ですが、いったいどんな歌詞の曲ができたのでしょう? クズドゥルのように新しい語彙が大量に追加されたりしたのでしょうか?

参考資料

この記事を書くにあたって、以前書いた アドゥーナイクの紹介 の記事でも紹介した3つ ([G], [A], [N]) に加えて、アドゥーナイクの単語リスト[E]を参考にしました。

ナズグルのテーマ (Black Rider) の歌詞と単語ごとの翻訳は[G]にありますが、[A], [N], [E]の資料を使ってさらに詳しく解説してみるのがこの記事の趣旨です。
([N]を参照するときは、そのページ番号も記載します。また、[E]を参照するときは、その単語のページにリンクを張ります。)

歌詞

まずは[G]より歌詞とその英訳を引用します。

(アドゥーナイク)

Nêbâbîtham Magânanê
Nêtabdam dâurad
Nêpâm nêd abârat-aglar
îdô Nidir nênâkham
Bârî 'n Katharâd

(英訳)

We deny our maker.
We cling to the darkness.
We grasp for ourselves power and glory.
Now we come, the Nine,
Lords of Eternal Life.

日本語に訳すと以下のような感じでしょうか。

我らは我らの創造主を否定する。
我らは闇に寄り添う。
我らは我ら自身のために力と栄光をつかむ。
今我らは来る、九人組、
不死の支配者たち。

歌詞の解説

では、アドゥーナイクの歌詞を一行ずつ解説していきます。

Nêbâbîtham Magânanê
(We deny our maker.  / 我らは我らの創造主を否定する。)

NêbâbîthamNê-bâbîtha-m と分解できます。[G]
は主語が一人称複数であることを表す接頭辞 (つまり「私たちは」) です。アドゥーナイクでは、代名詞の代わりに、このように動詞に接頭辞が付きます。[N:14]
bâbîtha は、さらに bâ-bîtha と分解できます。
は否定を意味します。HoMEには Bâ kitabdahê! (私に触るな!) という用例が登場します。[A]
bîtha はおそらく「話す」という意味です。[N]のタイトルでは bîtha ではなく bitha が使われています。
この歌詞では babitha を組み合わせて「否定の言葉を口にする」という意味にする意図のようですが、「話さない」という解釈もできてしまいそうです。
m は複数形を表す接尾辞です。主語が複数形のときに動詞の末尾に付きます。[A], [G], [E], [N:14]

Magânanê は、 分解するなら Magân-anê ですが、 anê については推測の余地がいくつかあります。
magân はHoMEでは Ar-Balkumagân (艦船建造王 タル=キアヤタン のアドゥーナイク名) の一部として登場することから、「建造者」などの意味があると推測されます。[A], [G], [E], [N:22]
anê は、例えば an nê の略であると推測できます。アドゥーナイクでは「私の」や「あなたの」などを表現する文法は知られていませんが、[N:23]では an (〜の) と動詞の接頭辞 ( など) を組み合わせて、 an nê (私たちの) などと表現することが提案されています。
もう一つの推測としては、 an は不要で、名詞の後ろに などを付けるだけで 「私たちの」などの意味になるという文法を想定したと考えられます。この場合、 Magân にくっつけると Magânne になりますが、発音のしやすさを考えて Magânane にしたのかもしれません。

Nêtabdam dâurad
(We cling to the darkness.  / 我らは闇に寄り添う。)

Nêtabdamnê-tabda-m と分解できます。[G]
mNêbâbîtham のところで説明したものと同じです。 tabda は「触る」という意味です。
じつは、 のところで紹介した Bâ kitbadahê! (私に触るな!) は Bâ ki-tabda-hê! と分解でき、直訳すると「否定 あなた-触る-私に」になると推測されています。[A] 「触る」は cling (寄り添う / しがみつく / 固執する) からは、多少意味が離れている気もしますが、語彙不足が深刻な言語なので仕方ないのでしょう。

dâuraddâur-ad と分解できます。[G]
dâur は「闇」という意味です。[A], [G], [E], [N:15]
ad は「〜に」という意味です。[A], [G], [E], [N:12]

Nêpâm nêd abârat-aglar
(We grasp for ourselves power and glory.  / 我らは我ら自身のために力と栄光をつかむ。)

NêpâmNê-pâ-m と分解できます。[G]
m が登場するのは3回目ですね。
は本来は「手」という意味[A], [E]ですが、ここでは動詞として「つかむ」という意味で使われているようです。

nêd という単語はアドゥーナイクには無さそうです。
[G]では ad を合成したものであると推測しています。両方ともこれまでの説明で登場した単語ですね。これなら「私たちに」という意味になります。

abârat-aglarabâr-at-aglar と分解できます。[G]
abâr は「力」という意味です。[A], [G], [E], [N:11]
at は本来は 双数形 を意味する接尾辞です[A], [G], [E], [N:30]が、「〜と」を意味する接続詞としても使えるようです。[A]と[N:31]では、 ûriyat nîlu (太陽と月) という用例が紹介されています。 aglar は「栄光」という意味です。[G], [E]

îdô Nidir nênâkham
(Now we come, the Nine, / 今我らは来る、九人組、)

îdô は「今」という意味です。[A], [G], [E][N:12]
Nidir は「9」という意味のようですが、[G]では「語源は不明」であるとされています。[A]にも[G]にも[E]にも載っていませんでした。
しかし、これはシンダリンからの借用だと思います。シンダリンでは「9」は neder というようです。

nênâkhamnê-nâkha-m と分解できます。 m はいつものです。おさらいしておくと、一人称複数形を表す動詞の接頭辞 (要するに「私たちは」) と、複数形を表す動詞の接尾辞です。
nâkha は「来る」という意味です。[A], [G], [E]

Bârî 'n Katharâd
(Lords of Eternal Life. / 不死の支配者たち。)

いよいよ最後の行です。
Bârîbâr (支配者) の複数形です。[A], [G], [E], [N:20]
n' Katharâd は[G]で「語源は不明」とされていました。しかし、推測してみましょう。
まず、 'n は簡単です。 an (〜の) の省略形です。[A], [E], [N:23]
すると、Katharâd が「不死」という意味のはずですが、[A]にも[E]にも[N]にも載っていません。
試しに、これまでのように分解してみましょう。katha-râd と分解できそうです。しかし、 katha は「すべて」という意味です[A], [E]が、これが「不死」だの「永遠の命」だのには繋がりそうもありません。 râd という単語もどこにも載っていません。
次は、片っ端から他の言語と比較してみましょう。シンダリンで「不死」は、 alfirin です。似ても似つきません。クウェンヤでは alfírima です。シンダリンとは似ていますが……。クズドゥルでは、トールキンのオリジナルの語彙にはありませんが、映画で言語面の監修をしたDavid Salo氏の ブログ記事 によると、 bin-amrad というそうです。比較的近いがまだまだ……。
逆に「死」という意味の単語から攻めてみましょう。アドゥーナイクにもあります。 agan [E]です。これに (否定) をくっつけて bâgan とでもすれば「不死」という意味になりそうですが、 katharâd とは似ていません。
やはり、ここまで考察しても語源は不明なままでした……。

おわりに

以上、ナズグルのテーマの歌詞を解説してみました。
結局正体不明だった Katharâd 以外はすべてトールキンのオリジナルのアドゥーナイクに存在する単語でした。すごい。アドゥーナイクは語彙不足が非常に深刻な言語ですが、新たな語彙の追加をほとんどせずに、よくここまでナズグルらしい歌詞を作ったものだと感心しました。

2016/12/09 ネルヤ