アドゥーナイクの紹介
はじめに
この記事は Tolkien Writing Day(http://bagend.me/writing-day/)の参加記事です。テーマはヌーメノールです。
前回の クズドゥルの紹介 が大変ご好評を頂いたので、 調子にのって また言語紹介記事を書こうと思います。
ヌーメノール語すなわちアドゥーナイクの紹介です。
アドゥーナイクってどんな言語?
アドゥーナイクは「指輪物語」ではそれほど目立った言語ではありません。ヌーメノールの歴代の王の名前が追補編に登場するくらいです。
「シルマリルの物語」と「終わらざりし物語」でも、 アカルラベース や アガスルシュ など名前がいくつか登場するくらいで、アドゥーナイク自体がどんな言語かは分かりません。
しかし、じつは「History of Middle-earth」(HoME)の第9巻「Sauron Defeated」にはアドゥーナイクの文法について非常に詳しい解説が書かれた、「Lowdham's Report on the Adunaic Language」という章があります。
シンダリンやクウェンヤに関する記述が様々な資料に散らばっていることを考えると、トールキンの言語としては大変珍しいことです。
アドゥーナイクは、目立たなさのわりに、大変よく作り込まれた言語です。おそらく、シンダリンとクウェンヤに次ぐほどです。
語彙こそ多くはありませんが、 エルフ語やドワーフ語の影響を受けながら進化してきた歴史と、その歴史を感じさせる文法の作り込まれ具合は大変なものです。
参考資料
この記事を書くにあたって参考にした資料を紹介します。 各リンクの前にあるのはこの記事で用いる略称です。記述の出典や根拠を示すために使います。
- [A] Adûnaic - the vernacular of Númenor / Ardalambion
- [N] Ni-bitha Adûnâyê / Parma Tyelpelassiva
- [L] Lalaith's Guide to Adûnaic Grammar / Web Archive
- [G] Soundtrack Analysis / Gwaith-i-Phethdain
[A]はトールキン言語全般について非常に詳しく解説しているサイト「Ardalambion」内のページです。
[N]はシンダリン入門書「Pedin Edhellen」の著者でもあるThorsten Renk氏によるアドゥーナイク入門書です。この資料を参照するときは、たとえば [N:12]のようにページ番号も書こうと思います。
[L]は[A]でも[N]でも紹介されている、非常に詳しいアドゥーナイク文法解説ページです。(本家は消えていたのでWeb ArchiveのURLです)
[G]は映画「ロード・オブ・ザ・リング」の曲の歌詞の解析が載っているページです。アドゥーナイクで書かれた、ナズグルのテーマ(The Black Rider)の歌詞もあります。
歴史
まずは歴史から見てみましょう。(以下、[A]のINTERNAL HISTORYの要約です)
最初の太陽が昇るとともにヒルドーリエンで目覚めたとき、人間たちは自らの言語を作り始めました。しかし、ご存知のように人間はエルフほど創造的ではないため、言語作りは難航しました。
人間たちの一部がベレリアンドに辿り着いたころまでには、彼らの言語は大きく変化していました。エレド・ルインの東側で暗闇のエルフ(アヴァリ)たちと交流を通じてその言語を学んだためです。
人間たちに出会った最初のエルダールであるフィンロド王は、彼らの言語を容易く理解しました。それほど、エルダールの言語と似ていたのです。
人間たちの言語は、ドワーフたちとの交流を通じてクズドゥルの影響も受けています。HoME第12巻「Peoples of Middle-earth」によると「一説によると、記録に残っていない過去において、アドゥーナイクの主要な要素となった言語を含む、人間たちの言語のうちいくつかはクズドゥルの影響を受けた」のだそうです。
ベレリアンドにおいて、人間たちはシンダリンを貪欲に学びました。しかし、彼ら自身の言語を忘れたわけではありませんでした。そして、その言語が、のちのアドゥーナイクに繋がりました。
アドゥーナイクはクウェンヤからの借用語の影響を受けて変化しました。 ヌーメノールでは、地名は公式にはクウェンヤで名付けられました。しかし日常会話ではクウェンヤは使われず、地名も同じ意味のシンダリン名やアドゥーナイク名で呼ばれました。
語彙
アドゥーナイクの 語彙には、エルフ語からの借用 が見られます。[A]
しかし、それが、どの時代のエルフ語かは様々です。エレド・ルインの東側でアヴァリたちから学んだものから、クウェンヤ由来のものまであります。
いくつか単語の例を、他の言語と比較しながら見てみましょう。
- adûn 西 ↔ dûn (シンダリン)
- minal 空 ↔ menel (シンダリン、クウェンヤ)
- ammî 母 ↔ ammë (クウェンヤ)
- lâi 人々 ↔ lië (クウェンヤ)、 lai (アヴァリ語)
- aglar 栄光 ↔ aglar (シンダリン)
もちろん、エルフ語由来ではなさそうな、シンダリンの単語ともクウェンヤの単語とも似ていない単語もたくさんあります。こちらも同様に、他の言語と比較しながら見てみましょう。
- inzil 花 ↔ loth (シンダリン)、lotë (クウェンヤ)
- azûl 東 ↔ rhûn (シンダリン)、 rómë (クウェンヤ)
- bâr 支配者 ↔hîr (シンダリン)、 heru (クウェンヤ)
構造
アドゥーナイクの 基本的な構造は、クズドゥル のそれに似ています。[A]
前回の記事をお読みになった方なら、このひとことでピンとくるかも知れません。そうです、アラビア語やヘブライ語などの、セム語派の言語に似た構造をしているということです。
一般的なセム語派の言語では、原則として3つの子音から成る語根に対して、子音の間に母音を挿入したり、接頭辞や接尾辞を加えることで単語が作られます。(セム語派の言語でもアドゥーナイクでも、子音が3つでない語根も少数ですが存在します。)
しかし、アドゥーナイクでは、3つの子音に加えて、 特徴母音 と呼ばれる1つの母音で語根が成り立ちます。[A]
このため、3つの子音が全く同じでも、母音の違いによって意味が全く無関係な単語が作られます。
たとえば、子音列 K-L-B に対して、特徴母音 a が付くと語根 KALAB (滅亡) になり、そこから kalab (滅亡する) や Akallabêth (アカルラベース) などの単語が作られます。一方、特徴母音 u が付くと 語根 KULUB (根菜類) になり、そこから kulub (根菜類) などの単語が作られます。
名詞の性
アドゥーナイクの名詞には、 他のトールキン言語には無い特徴 があります。それは、 名詞に性が存在 することです。 名詞は4つの性(男性、女性、共通性、中性)に分かれます。 [A], [L], [N:9]
名詞の性は日本人には馴染みのない概念ですが、ドイツ語、ロシア語、フランス語、アラビア語など、非常に多くの言語に存在します。性の数は言語によって様々です。もちろん、男性と女性しかない言語もたくさんあります。
男性/女性名詞 には、概念的に男女に結びついている名詞や、男性/女性の名前が分類されます。
たとえば、 naru (男) や attû (父) や Ar-Pharazôn (アル=ファラゾーン) は男性名詞で、 kali (女) やammî (母) や Avradî (ヴァルダ) は女性名詞です。
共通性名詞 には、ひとや動物に関する名詞が分類されます。
たとえば、 anâ (人間) 、 nimir (エルフ) 、 karab (馬) などです。
ただし、動物に関連していても、 karbû (オス馬) や karbî (メス馬) など、オス/メスに結びついている場合は、男性/女性名詞に分類されます。[A], [N:10]
中性名詞 には、ひとや動物以外の名詞が分類されます。
たとえば、 azra (海) 、 gimli (星) 、zadan (家) などです。
木の髭 は男性の植物ですが、男性名詞で呼ばれるのか中性名詞で呼ばれるのかは不明です。[L]
職業に関する名詞の性が、男性/女性になるのか共通性になるのかは、資料によって説が異なっています。
[N]では、職業によって男女が割り当てられているようです。たとえば、 tamar (鍛冶師) は男性名詞[N:10]で、 zôrî (看護師) は女性名詞[N:20]です。
[L]では「性別が不特定の職業もおそらく共通性だが、 tamar (鍛治師) まで共通性かは真剣に疑わしい」としています。
名詞の格変化
アドゥーナイクの 名詞はクウェンヤと同じく格変化 します。[A], [L], [N:10]
つまり、「○○は〜」や「〜の○○」のような言い方は、たとえば英語では「○○ is 〜」や「○○ of 〜」のように別の単語を置くことで表現しますが、アドゥーナイクではその単語自体の形が変わることで表現します。
アドゥーナイクの名詞は3通り(基本形、主格、目的格)に格変化します。[A], [N:10]
クウェンヤの10通り近く(主格、対格、属格、所格、具格……)もの格変化がに比べればだいぶ少ないです。
基本形 は、文字通り、格変化が起きていない基本的な形です。
文中では目的語や述語に使われます。つまり「〜は○○です」のような文の○○が基本形の単語になります。
主格 は、その名詞が文の主語であることを示す語形です。
主格では、単語の性別によって変化のパターンが異なります。また、音節数などによって、単語に接尾辞が付くだけの「変化が弱い単語」と、それに加えて単語の一部が変わる「変化が強い単語」に分けられます。
目的格 は、複合語の中にのみ現れる語形で、うしろに付く単語の目的語であることを示します。
目的格も、主格と同じく性別によって変化のパターンが異なり、変化の強弱が存在します。
変化の細かい規則を説明すると長くなりすぎるので、いくつか例を紹介するだけにしよう思います。性別×強弱の計8通りの例について、3つの語形を表にまとめました。[N:10,11,19,20,22,23]
これだけでも、どんなパターンで変化しているか、雰囲気はわかると思います。
基本形 | 主格 | 目的格 | 意味 | パターン |
---|---|---|---|---|
bâr | bârun | bâru | 支配者 | 男性・弱変化 |
tamar | tamrun | tamur (tamru) | 鍛冶師 | 男性・強変化 |
mîth | mîthin | mîthi (mîthu) | 幼女 | 女性・弱変化 |
nithil | nithlin | nithul (nithlu) | 少女 | 女性・強変化 |
nûph | nûphan | nûphu | 馬鹿者 | 共通性・弱変化 |
nimir | nimran | nimur (nimru) | エルフ | 共通性・強変化 |
pûh | pûha | pûhu | 息 | 中性・弱変化 |
zadan | zadân | zadun | 家 | 中性・強変化 |
以上の単語を使って文を作ってみましょう。たとえばこんな文が作れます。
Nimran tamar. (そのエルフは鍛冶師です。)
Nûphan mîthi-bâr. (その馬鹿者は幼女を支配する者です。)
(幼女を支配……ひどい文ができてしまいました……)
どの単語がどの語形になっているかに注目しましょう。
その他の品詞
名詞の説明だけで、ずいぶんな長さになってしまいました。
他の品詞については、軽く紹介する程度にしようと思います。
動詞
基本的に、動詞の前には以下のような主語を表す接頭辞が付きます。[N:14]
主語が複数形の場合は動詞の末尾にmが付きます。
アドゥーナイク | 日本語 | アドゥーナイク | 日本語 | |
---|---|---|---|---|
ni- | 私は | nê- | 私たちは | |
ki- | あなたは | li- | あなたたちは | |
hu-, u- | 彼は | yu- | 彼らは | |
hi-, i- | 彼女は | yi- | 彼女らは | |
ha-, a- | それは | ya- | それらは |
動詞には4つの時制(アオリスト、現在進行形、過去形、過去進行形)があります。[A], [L], [N:14,18,26]
アオリストは特定の時間に結びつかない時制です。たとえば「太陽は朝に昇る」のような普遍的な事実など、英語では現在形になるような表現の一部はアオリストになります。他の時制は、まあ、名前のとおりな時制です。
例文を見てみましょう。
Ni-bitha Adûnâyê. (私はアドゥーナイクを話します。)
[N]のタイトルですね。 bitha (話す) の時制はアオリストです。この文の趣旨は「いま話している言語はアドゥーナイク」ではなく「私はアドゥーナイクを話すひとである」であり、特定の時間に結びついているわけではないため、この時制になります。
Yu-bittham Nimriyê. (彼らはエルフ語を話しました。)
どの時制のときどんな語形変化するかは判明していない部分が多いですが、過去形は bittha (話した) のように、2つめの子音が二重になるのが特徴のようです。[N:26]
主語が複数形(彼ら)なので bittha のうしろにmが付いています。
形容詞
形容詞について判明していることは少ないです。比較級や最上級の語形も判明していません。
いくつかの単語以外に判明していることは、普通は名詞の前に付くということと、修飾する名詞が複数形だと形容詞も複数形になること、そして「性の一致」が無いということぐらいです。[N:11], [A]
性の一致とは、名詞に性がある言語によく見られる文法で、形容詞はそれが修飾する名詞と同じ性の語形変化をするという規則です。
単語をいくつか紹介します。
- izindi (まっすぐな)
- burôda (重い)
- êphalak (遠く離れた)
代名詞
アドゥーナイクの代名詞は一切判明していません。しかし、[N:23]では動詞の接頭辞( ni, nê, ki, li ……)を代名詞のように使う方法が提案されています。
Ni-na Ar-Pharazôn. (私はアル=ファラゾーンです。)
na は英語でいうbe動詞に相当する単語です。
Zadan an ki. (あなたの家)
an は英語でいうofに相当する単語です。 [G]では、 Zadanki のように、動詞の接頭辞を名詞の末尾にそのまま付けることで同様の表現をしているようです。
文章を書いてみよう
これまで紹介してきたように、アドゥーナイクは、よく作り込まれているとはいえ不明点も多く、判明している語彙も非常に少ない言語です。
この言語で、どれくらいの文章が書けるのでしょうか? これまで紹介できなかった文法や単語も使いましたが、精一杯書いてみました。ご笑覧ください。
Ar-Azûluphazgân an Gondor unakkha zâyan an azûl.
Hu-azaggara Lâiyada 'nAzûl. Azûluphazgân-mâ nardûwî 'n hu.
Lâi 'nAzûl zagîr-dalad 'n nardûwî. Agan anakkha Lâi-ze 'nAzûl.
Kadô êphal êphalak ugru 'n azûl. Aglar Gondorada!ゴンドールのローメンダキル王は東の地に来た。
彼は東夷に戦争を仕掛けていた。ローメンダキルと共に彼の兵士たち。
東夷は兵士たちの剣の下に。死が東夷のそばに来た。
そして東の影は遠く遠く彼方に。ゴンドールに栄光あれ!
上記の文章に含まれている中で、これまで紹介できなかった単語などを、ざっと掲載します。
- Azûlphazgân: kathuphazgân (征服者) - kathu ( kâtha (全て) の目的格) + azûlu ( azûl (東) の目的格)
- Gondor: ゴンドール (アドゥーナイクでどう言うか不明なのでシンダリンのまま)
- unakkha: u- (彼は) + nakkha (来た)
- zâyan: 土地
- azzagara: 戦争を仕掛けていた (判明している唯一の過去進行形の単語)
- lâiyada: lâi (人々) + -ada (〜に)
- 'n: an (〜の) の省略形
- -ma: 〜と共に
- nardûwî: nardû (兵士) の複数形
- zagîr: zagar (剣) の複数形
- -dalad: 〜の下に
- agan: 死
- anakkha: a- (それは) + nakkha (来た)
- -ze: 〜のそばに
- kadô: そして
- êphal: 遠く
- ugru: 影
- Gondorada: Gondor (ゴンドール) + -ada (〜に)
おわりに
前回に続いて、大変ボリュームのある記事になってしまいました。ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
エルフ語やドワーフ語の影響を受けながら進化してきた歴史と、それが感じられる文法要素、さらにアドゥーナイク独自の要素を中心に紹介してみました。楽しんでいただけたら幸いです。
もちろん、この記事では紹介できなかった要素も多くあります(否定形、命令形、過去分詞……)。興味を持っていただけたなら、ぜひ[N]や[A]などの参考資料を読んでみてください。
クレジット
この記事はTolkien Writing Dayの参加記事です。
http://bagend.me/writing-day/
筆者: ネルヤ(@goldarn_ring)
2016/09/22